PARK RAON -パク・ラオン- インフォメーション

生きることは、偶然と必然で成り立っている。縦糸と横糸が織りなす一枚の布のように、私たちの人生は、偶然と必然、どちらの糸が欠けても成り立たない。
しかしどちらかといえば、私は人生における偶然の力をより強く信じている。人生には必然的に決まっていく予定のようなものがあり、そのプログラムに従って生きているのだとしても、私は思いがけない些細な出会いを見逃さず、大切にしたいと思う。偶然という豊かな血や肉をはぎ取って必然という骨だけ残しても、人生は味気ないものだ。自分の意志で何かを自由に選ぶこともなく、予定調和をこなすだけの人生はつまらない。人生の目標を決め、それに向かって脇目もふらずに突き進む者は、しばしば達成のみに固執し、縛られてしまいがちだ。一方で、成果をあげていながら「偶然の積み重ねでこうなったんです」と微笑む者は、おおらかで自由な雰囲気を漂わせているものだ。
パク・ラオンは、まさに「偶然」を生きてきたシンガーである。初めて会ったときに彼女と交わした会話は忘れがたい。「どうしてジャズを歌い始めたの?」という問いに、彼女は「ただ自分が好きなスタイルで歌を歌っていたら、自然とジャズになっていたんです」と答えた。彼女はジャズボーカリストになろうと最初に決め、その目標に向かってまっすぐ進んできたわけではなかった。好きな音楽を自由に選び、その波にのって「偶然」たどりついたのが、ジャズという大陸の海岸だったのだ。
彼女のような旅人は、繊細さと同時に、境界を恐れない大胆さを持ち合わせている。たとえば「ジャズ大陸」というものがあったとして、そこを目指す航海者は、まっすぐそこへたどり着くことだけを考え、無駄のない行程を計画するだろう。そして、水平線の向こうに「ジャズ大陸」を見つけたとき、モLullaby of Birdlandモあたりを口ずさんでいるかもしれない。スタート地点をアジアの東端・韓国とし、目指す「ジャズ大陸」を北米大陸と考えれば、その航路は当然、太平洋をまっすぐ横断する合理的なプランになるはずだ。
一方で、気ままな航海の途中でひょっこり「ジャズ大陸」にたどり着いた航海者は、未知の大陸に降り立って、緊張とともに最初の一歩を踏み出す。そして珍しい風景を見渡し、新たな出会いに胸をときめかせる。そして、これまで旅してきた国々での見聞を活かし、豊かな積み荷を携えて、新しい土地での冒険が始まるのだ。この船が韓国を出発し、ジャズの故郷であるアメリカに偶然寄ったのであれば、それまでの航路はフィリピン諸島、インド洋を経て、紅海から陸地に上がり、再び地中海、太平洋を渡ってアメリカ大陸に到着する長いものだったかもしれない。
このように考えると、パク・ラオンのこれまでの航海は、後者であると言えるだろう。彼女はElla FitzgeraldやSarah Vaughan、またはCarmen McRaeやBetty Carterhを羅針盤にしたのではなく、風まかせに海を渡ってたどり着いた場所が「ジャズ大陸」だったのだ。彼女が好きな歌手は、意外にもEva Cassidy(フォークからブルース、ジャズなどすべてのジャンルが歌える、いい意味でのアマチュア歌手)だという。ジャズ歌手の中ではRachelle Ferrellの名前があがったくらいだ。「もしかしてBjorkも好き?」と尋ねると、彼女は首を少しかしげて笑った。
パク・ラオンは大学生のときからスクールバンドで歌っていた。しかし多くの韓国のミュージシャンがそうであるように、音楽で生きていこうという決心ができたのは、ずっと後になってからだ。2003年にキム・スチョルバンドにキーボード兼ボーカルで参加したのが、彼女の職業ミュージシャンとしての出発となった。その後、自分の追求する歌がジャズに近いと知ってから、サックス奏者のホン・スンダルと出会い、彼女は本格的に音楽活動を始めた。
このように、パク・ラオンの航路は迂回を重ね、「ジャズ大陸」まっしぐらというものではなかった。ジャズミュージシャンになりたい一心で二十歳すぎから本格的に航海に乗り出す人もいれば、彼女のように紆余曲折の末に遅い船出をし、それまでの経験を豊かに発酵させながらキャリアを積んでいく人もいる。後者の素晴らしいところは、彼らは自分の直感にいつも忠実であるという点である。音楽のジャンルとしての語法や特性に忠実なのではなく、自分の体験や考え、感情を大切にする。彼女が好きなEva CassidyやジャズボーカリストのRene Marieと同じように、彼女の歌には偽りのない素直な個性がにじみ出ている。このアルバムに収録されている彼女自身がアレンジしたナンバーは、よく知られたスタンダードであり大幅な改作はしていないにもかかわらず、まるで彼女のオリジナルナンバーのように、どれも新鮮に聴こえる。その秘密は、「自分の心に正直」という彼女の個性にあるのかもしれない。
パク・ラオンの歌には、ある種の切実さが宿っている。ただ歌を完璧に、綺麗に歌うことではなく、心の奥に秘めた深みを表現しようという強い意志が感じられる。まるで再来を約束できない旅人のように、今降り立ったジャズという大陸に手をついて、隅々まで熱心に触れ、知ろうとする。自分の感情をすべてさらけ出すことには、どんな人でも臆病なものだ。しかし、パク・ラオンは歌で内面のすべてをさらけ出すために、失敗を恐れずに広い音域を使って歌う。だからスタンダードナンバーから民謡、オリジナルナンバー(「My Secret」、「Just Let Me Go」)に至るレパートリーの幅広さにもかかわらず、それらの曲はすべて、彼女の個性を芯にもつ「パク・ラオンの音楽」として響くのである。中でも、彼女の歌う民謡には驚かされる。このアルバムに収録された民謡「Saeya Saeya」を繰り返し聴いているが、我が国の民謡を、民族的な情緒というありふれたとらえ方から離れ、自分の歌として咀嚼しここまで自由に歌い上げた例を、私は他に見つけられそうにない。
パク・ラオンは今、パンソリと唄にも新たな関心を寄せている。「自分の音楽がこれからどんな方向へ流れていくかは分からない」。彼女はそう語っている。航海の途中に偶然立ち寄ったジャズという大陸も、彼女はしばらく滞在を楽しんだ後、いつか再び離れていくのかもしれない。それでも、このアルバムに魅了されたジャズファンとしては、偶然この地を訪れた魅力的な旅人を、もう少し引き留めていたいと願う。そして彼女が再び新しい音楽を実らせてくれるのを、心待ちにするだろう。一度味わっただけで満足するには、彼女が生み出す音楽の果実は、あまりにも独特でかぐわしい。
ファン・トッホ(ジャズ愛好家)